鈴木千裕選手(26)のアグレッシブな格闘スタイルはスリリングな試合展開で目が離せませんよね!
実は、鈴木千裕選手にはハーフならではの苦悩があったんですって。
父親がペルー人だったっけ?
クオーターじゃなかった?
この記事では、鈴木千裕選手の両親の国籍やルーツだけでなく、
人となり(性格や成長過程)にも着目
しています!
- 鈴木千裕選手のルーツ
- ハーフであることの苦悩と乗り越え方
- 鈴木千裕選手の日本人離れした力強さ
鈴木千裕はハーフ!出身や国籍は?
アイドル顔負けの整った顔立ちとスタイルの良い鈴木千裕選手。
一体どこのハーフなのでしょうか?
鈴木千裕選手は、
です!
鈴木千裕選手の両親は、
- 父親:ペルー人
- 母親:日本人
ということで、生まれも育ちも日本なんですって。
日本育ちだったんだ!
鈴木千裕さんのプロフィールを簡単におさらいしておきましょう!
- 名前:鈴木千裕(すずき ちひろ)
- 生年月日:1999年5月14日
- 年齢:25歳
- 国籍:日本
- 出身地:東京都三鷹市
- 身長:173cm
- 体重:66kg
日本人の母親が、ペルー人の父親と出会った経緯がめちゃくちゃ気になりますが、残念ながら鈴木千裕選手から語られたことはありませんでした。
鈴木千裕さんがペルー人とのハーフであることがわかりましたが、実は、血筋的には日本とペルーだけではないんです!
鈴木千裕の家系は多国籍!
ペルーとのハーフである鈴木千裕選手ですが、
が入っていることを明かしています。
- 日本
- ロシア
- ペルー
- スペイン
の4つの国です。
鈴木千裕さんは過去にインタビューで次のように語っています。
「4カ国入っているんですよ。ペルー、スペイン、ロシア。」
GONG
鈴木千裕選手のルーツについては、いくつかの説があります。
鈴木千裕のクオーター説
鈴木千裕選手の多国籍ルーツについて、
具体的には、
- 母親:日本✕ロシア
- 父親:ペルー✕スペイン
両親ともにハーフのため、
なのではないか、という説があるのです。
ただ、この情報は噂として囁かれているものであり、鈴木千裕選手本人が公表したものではありません。
あくまで憶測としてこのように広まっています。
そして、クオーター説の他にもう一つ出回っている情報があります。
鈴木千裕のグローバルルーツ説
クオーター説がある一方で、このような情報も囁かれています。
- 母親:純粋な日本人
- 父親:ペルー人
- 祖父:スペイン✕ペルー
- 曽祖父:ロシア✕スペイン
これは、「鈴木千裕さんはハーフですか?」という知恵袋への質問に対する答えです。
つまり、鈴木千裕選手は、
- 母方:日本人100%
- 父方:ペルー(50%)+スペイン(25%)+ロシア(25%)
ということになります!
とてもユニークなルーツですね!
それにしても4つの国の血が流れているというのは、本当に驚きですよね!
でも、4カ国の血筋を持つのは鈴木千裕選手だけではないんです。
鈴木千裕の兄
鈴木千裕選手には、格闘家のお兄さんがいます。
- 名前:鈴木宙樹(すずき ひろき)
- 生年月日:1996年11月20日
- 年齢:25歳
- 身長:175cm
- 体重:62.5kg
鈴木千裕さんが日本生まれの日本育ちですが、3歳年上のお兄さんは、ペルーで生まれたんだとか。
お母さん、ペルーに留学でもしてたのかしら?
ハーフで、4カ国の血筋を持つ鈴木千裕選手。
一体どんな言語を話せるのでしょうか?
鈴木千裕は何語が話せる?語学スキルについて
鈴木千裕選手は流暢な日本語を話していますが、ペルーの公用語であるスペイン語も話せるのでしょうか?
鈴木千裕選手が話せる言語は、
だと、インタビューで明かしています。
でも喋れるのは日本語だけ。
GOSE
3歳年上の兄はペルーで生まれましたが、弟の鈴木千裕選手が生まれる前に家族が日本に移住していたため、兄弟ともにスペイン語を使う機会が少なかったのかもしれませんね。
鈴木千裕がハーフとして経験した苦悩と乗り越え方
鈴木千裕さん、実はハーフとして育ったからこその苦悩があったんです。
特に、お父さんがペルー人だってこともあって、
が日常茶飯事だったんだとか。
鈴木千裕選手が小学生の時はまだハーフの人は珍しく、見た目の違いを無遠慮に口に出されていました。
『目でかくね』、『なにあの子』、『手足長くてお化けみたい』って言われたりしましたよね。
ENCOUNT
えー!そんなこと言われたら心が痛むよね!?
小学生の頃だからこそ、余計にキツイし、グサッと刺さっただろうな~って想像するだけで、ちょっと胸が痛くなりますね。
でもね!そこで終わらないのが鈴木千裕さんのすごいところなんです!
年齢が上がると、逆に評価がガラッと変わったんですって!
『目が大きくて羨ましい』、『スタイル良いね』っていう風に。ハーフの人はそういうギャップを経験しているので、人間観察が得意だと思いますよ(笑)」
ENCOUNT
めちゃくちゃポジティブに話してる鈴木千裕選手最高!
自虐的に笑い飛ばしながらも、その言葉の裏には深い意味が込められています。
子ども時代の辛い経験を乗り越えたからこそ、その成長をポジティブに捉えている鈴木千裕選手。
なんとも素敵な精神力ですね。
自虐の中で強くなった鈴木千裕
なんといっても鈴木千裕さんの強さは、
があったからこそ!
自虐的な時期を乗り越えた背景には、お父さんの言葉とその教えが大きく影響しているのです。
鈴木千裕選手が過去に、いじめられたことで
整形したい
と親に泣きついたこともありました。
でも、そんな時、お父さんが教えてくれたのが、ただの「耐えろ」ではなく、
という教えでした、
この言葉が鈴木千裕選手にとっての心の支えとなり、強さをはぐ育む力になったのです。
お父さんに言われた言葉は、
嫌なことを言われたら2回は我慢して、3回目は殴り返せ。
少し物騒に聞こえるかもしれませんが、この言葉には深い意味があります。
を教えてくれたのです。
そして、万が一問題が起きてもお父さんは、
しょうがないよ、だって2回我慢したんでしょ?
と怒ることはなかったと言います。
お父さんの深い理解が、鈴木千裕選手にとって大きな支えになったことは間違いありません。
鈴木千裕選手が自分を強く持ち続けられたのは、お父さんから受けた
という教えが、あったからです。
この教えが、鈴木千裕選手を支え、過去の苦悩を乗り越える力となったのです。
この言葉には、鈴木千裕選手がどれだけの苦悩を乗り越えてきたのか、そしてどれだけ親の教えを大事にしてきたのかが感じられます。
鈴木千裕選手の言葉に、力強さと温かさがしっかり伝わってきて、さらに応援したくなる気持ちが湧いてきました!
鈴木千裕に見る多文化の影響と彼の成長
鈴木千裕選手の強さの源には、彼のハーフであることによる独自のフィジカルな強さと、それを支える絶え間ない努力があることが大きなポイントです。
多文化で育った背景が、鈴木千裕選手の成長にどれほど影響を与えたのでしょうか。
- 日本人離れした力強さ
- 力を過信しない努力
- 挫折から学んだ成長の糧
それぞれ見ていきましょう!
日本人離れした力強さ
鈴木千裕選手は、ハーフとして育ったことで「日本人離れした力強さ」を持つと語っています。
彼自身が
「外国人の力を持った日本人なので!」
ENCOUNT
と豪語しており、そのフィジカルの強さは生まれ持ったものです。
しかし、その強さだけでなく、それを過信せずに努力し続ける姿勢こそが、鈴木千裕選手の成長の大きな理由です。
365日格闘技の生活
鈴木選手は、2021年9月にRIZINデビューを果たし、初戦では昇侍選手に1ラウンドTKO負けという辛いスタートを切りました。
しかし、彼はそこで諦めずに、強さを磨くために毎日練習を重ねました。
インタビューでは、次のように答えています。
「とにかくいっぱい練習しました。他の格闘家は格闘技以外のことをしている時間が多いんですよ。例えば旅行に行ったり、息抜きが非常に多い。試合後は特にそうしていますけど、僕はその時間がなかった。」
ENCOUNT
とインタビューに答えていました。
また、友達との遊びを1年間も我慢し、練習に集中し続けたことも明かしています。
このように、鈴木選手の強さは生まれ持った資質だけではなく、その裏にある努力と精神力によるものです。
鈴木千裕が味わった挫折
鈴木千裕選手は2023年11月時点で6連勝を達成し、順調なキャリアを築いているように見えます。
しかしその裏には深刻な挫折経験があります。
その挫折とは、格闘技界でも問題視されている
です。
鈴木千裕さんは過度の減量で、いつしか心身のバランスを崩してしまったのです。
減量の過酷さと心身の負担
鈴木選手は、毎回およそ
を課せられていました。
栄養士の専門学校に通っていたものの、実習で作った料理は 味見だけ で、一口も食べられなかったといいます。
『次は絶対に階級を上げよう』と思うんですけど、計量をパスしてリカバリーして試合に勝つと『もう1回大丈夫』と思ってしまうんです。
GONG
このループにより、鈴木千裕選手の体と心は次第に追い詰められていき、過食の症状に陥ってしまったのです。
過食症状に陥った鈴木千裕選手の体重は最大で 72.5kg に達することもありました。
57kg級への挑戦と計量失敗
それでも、「3連勝すればチャンピオンになれる」という夢を胸に、鈴木千裕選手は 57kg級 での戦いを続けます。
しかし、成長期の体に筋肉がつきやすくなったことや、過食の影響も相まって、減量幅は 15kg にも及びました。
その結果、2021年12月に鈴木選手は 計量失敗 を経験します。
挫折からの学びと強さの原点
計量失敗の挫折を経て、鈴木千裕選手は自らの心身を見つめ直しました。
こうした辛い経験があるからこそ、鈴木千裕選手は 1年間遊びを断ち、練習に打ち込む覚悟 を持てたのでしょう。
「どん底から這い上がる」という過去が、現在の彼の強さの大きな源になっていることは間違いありません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
この記事では鈴木千裕選手がどこの国のハーフなのか。
また、ハーフが故の苦悩などを過去のエピソードとともに振り返りつつお伝えしてきました。
- 鈴木千裕選手のは東京都三鷹市生まれの日本人
- 兄はペルー生まれ
- 父親がペルー人のハーフである
- 日本、ペルー、ロシア、スペインの血を引く多国籍なルーツを持っている
- 話せる言語は日本語のみ
- 小学生時代は外見をからかわれ、つらい思いを経験
- 年齢とともに、外見が評価されるようになりポジティブに成長
- 父親の教え「耐える強さと立ち向かう力」が心の支えに
- ハーフであることによる独自のフィジカルと精神力を持っている
- フィジカルの強さを過信しない努力する力を持っている
ということがわかりました。
今もなおたくさんの勝利を挙げている鈴木千裕さん。
自身も語っているその、「外国人の力を持った日本人」のパワーでこれからの活躍にも目が離せませんね!
ここまで読んでいただきありがとうございます!
コメント